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東京地方裁判所 昭和60年(ワ)2260号 判決

原告

自見まき子

右訴訟代理人弁護士

房川樹芳

内谷利江

右訴訟復代理人弁護士

村上徹

被告

株式会社ジャパンマリンサービスこと

新宮守

右訴訟代理人弁護士

高木新二郎

巻之内茂

主文

一  被告は、原告に対し、金三〇万円及びこれに対する昭和五九年三月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、これを一〇分し、その三を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴の部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金一二五万円及びこれに対する昭和五九年三月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

原告は、昭和五九年三月二五日午後二時ころ、神奈川県小田原市石橋付近の海洋でスキューバダイビング(背中に背負つた圧縮空気のボンベから空気の供給を受けて潜水する方法)の練習中、潮流に流され、約二時間漂流の末、同日午後四時過ぎ同所付近の海中で救助された。

2  被告の責任

(一) 原告と被告との関係

(1) 原告は、昭和五九年一月ころ、被告との間で、被告の主催するスキューバダイビングの受講契約を締結した。

(2) 本件事故は、右契約に基づく被告の講習中に発生した。

(二) 不法行為

(1) 契約締結上の過失

① 本件事故は、原告が被告のスキューバダイビングの講習の内オープンウォーター検定コース(以下「検定コース」という。)を受講中に発生した。

② 検定コースは、スキューバダイビングを何年か経験した者が認定証(Cカード)を取得するため受講するコースであり、原告には不適切であつて、本件事故は原告がこのコースを受講するに十分な技量を有しなかつたために起きた。

③ 原告は、ダイビングに関して全くの素人であつたが、前記契約の締結に際してその旨告げて被告にどのコースを受講するのが適当か相談したところ、被告が検定コースを勧めたため、これに従つて同コースを受講することとしたものである。

④ 被告は、ダイビングの指導員として、原告のような未経験者からダイビング受講について相談を受けた場合には、相談者のダイビング歴、泳力、体調等を確認し、その者に最も適した受講コースを選択、助言すべき注意義務を負うにもかかわらず、これに反して、原告に対し、右のとおり不適切な検定コースを推薦し、本件事故を惹き起こしたものである。

(2) 海況判断の誤り

本件講習には被告自身が指導員(インストラクター)として受講者の指導にあたつたところ、当日の現場付近の海は強風のために荒れて白く波頭が立つほど波が高く、かつスタッフが予め潜水地点を示すブイを海面に設置した際、強い潮流のためブイがかなり流された事実もあつたから、このような場合スキューバダイビングの講習の指導員としては、海洋実習を中止すべき注意義務があるにかかわらず、被告は、これを怠り、実習を強行した過失により、本件事故を惹き起こした。

(3) バディシステムの不遵守

① ダイビング、特に多くの器材を使用し、水中に長時間潜水しているスキューバダイビングにおいては、水中ではどのような危険な事態に陥るかわからないので、常に二人一組で潜ることが大原則とされている(このシステムをバディシステム、組んだ者同士をバディと呼ぶ。)。

バディは海に入る時から上がつてくる時まで必ず一緒でなければならず、必然的に、泳ぐスピード、行動の範囲等すべてを技量の低い方に合わせることになる。バディ同士は、絶えず相手の位置、動静に注意し、危険な状態に陥つていないか確認するわけである。

② 本件事故当時、原告のバディは被告であつた。

③ しかるに、被告は、当日被告の講習に参加した他の受講者の指導に気をとられて原告の位置、動静に対する注意を怠つた過失により、原告が潜水予定地点に設置されたブイにたどりつく前に潮流に流されたことに気づかず、原告を漂流させてしまつたものである。

(三) 債務不履行

被告は、本件講習の主催者として、講習を行うにあたり受講者に生命、身体に対する危険が生じないようその安全を十分に配慮すべき前記受講契約上の債務を負うところ、これを怠り、指導体制が不備のまま当日の講習を行つた結果本件事故を惹き起こしたものである。

すなわち、ダイビングの海洋実技の講習は指導員の管理下で行わなければならないところ、当日は受講者が一五、六名もおり、かつ受講コースが二種類に分かれていて、原告のようにスキューバダイビングのため海に入るのが二度目というような初心者が含まれていた以上、講習を主催する被告としては、各自の指導に十分な人数の指導員を配置すべき責務があるにかかわらず、資格のある指導員は被告一人のみという体制で本件講習に臨んだのは前記債務の不履行にあたる。

3  損害

原告が本件事故により被つた損害は、次のとおりである。

(一) 精神的損害

原告は、ダイビング器材の使い方も十分わからないのに、一年中で最も冷たい海に自分の位置も把握できないまま二時間も漂流し、その間絶えず死と直面していたもので、多大な精神的苦痛を被つた。本件事故によつてもたらされた原告のダイビングに対する失望は大きく、本来であれば楽しかるべきダイビングの夢を被告によつて奪われる結果となつた。

これらに対する慰謝料としては金一〇〇万円が相当である。

(二) 弁護士費用

原告は、被告が賠償金の任意の支払に応じないため、やむなく本訴の提起、追行を弁護士である原告訴訟代理人に委任し、相当額の報酬の支払を約した。この内金二五万円は本件事故と因果関係ある損害というべきである。

よつて、原告は、被告に対し、不法行為又は債務不履行による損害賠償として、金一二五万円及びこれに対する不法行為の日である昭和五九年三月二五日から支払済みに至るまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、原告がその主張の日にその主張の場所でスキューバダイビングの練習をしたことは認めるが、その余は否認する。原告が入水したのは午後二時二〇分であり、陸へあがつたのは午後三時四四分であつて、被告は、午後二時五〇分原告が本件講習の群れから離れたのに気づき、探索したところ原告を発見したのでボートの手配をしたが、原告が潮の流れによつて戻つてきたので、他の数名と共に泳いで連れ戻したにすぎない。

2  請求原因2(一)(1)、(2)の事実は認める。

同2(二)(1)①ないし④の事実は否認する。原告が被告と相談の上で受講を申し込んだのは、ダイビングの初心者向けのスキューバ認定コース(以下「認定コース」という。)であり、本件事故当時原告の受けていた講習は認定コースに沿つたベーシックコースとオープンウォーターコースであつて、被告にはコース選定の過失はなく、また本件事故は原告の受講コースの不適切によるものでもない。

同2(二)(2)の事実中、本件講習には被告自身が指導員として受講者の指導にあたつていたことは認めるが、その余は否認する。当日の風波はさほど強くなかつた。

同2(二)(3)の事実中、①及び②の事実は認めるが、③の事実は否認する。

同2(三)の事実は否認する。

3  請求原因3(一)及び(二)の主張は争う。

三  抗弁

仮に本件事故につき被告に何らかの過失があつたとしても、本件事故は主として原告自身の過失によるものである。すなわち、原告は本件海洋実習に先立ち、昭和五九年二月五日、一一日、一二日と三回の海洋又はプールでの実習を受けており、これによつて当日のダイビング実習に必要な技能や知識を身に付けていた。したがつて、仮に潮に流されることがあつたとしても、声を出し又は手信号で助けを求めれば、陸での監督者もいたのであるから、早期に救助措置がとれたものである。しかるに、原告がこのような基本的動作を怠つたために、暫時漂流を余儀なくされたのである。

四  抗弁に対する認否

抗弁事実中、原告が昭和五九年二月一一日、一二日の実習を受けたことは認めるが、その余は否認する。

第三  証拠関係

証拠関係は、本件記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。

理由

(事故の発生)

一〈証拠〉を総合すれば、請求原因1の事実(ただし、原告が海に入つたのは午後二時二〇分ころであり、約一時間二〇分余り漂流した後の午後三時四四分ころ救助されて陸に上がつた。)を認めることができ、〈証拠〉中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(被告の不法行為)

二請求原因2(一)(1)及び(2)、2(二)(3)①及び②の事実並びに本件講習では被告自身が指導員(インストラクター)として受講者の指導にあたつていたことは原、被告間に争いがない。

次に本件事故発生の状況について見るに、右争いのない事実に前掲〈証拠〉を総合すれば、当日の海洋実習は、海に入る地点(エントリー地点)から沖合約五〇メートル(直近の海岸から約三〇メートル)の地点(水深約四メートル)にブイを設置して同所を潜水開始地点とし、更に、そこから沖に向けて五〇メートルの地点(水深約七メートル)にブイを設置し、右両地点間を結んで海底にロープを張り、これに沿つて又はその陸側で潜水する訓練内容であつたこと、実習の開始とともに、被告は他の受講者と一緒に潜水開始地点のブイまで泳いでゆき、原告が右ブイに向けて泳いでいるのを確認した後潜水を開始し、五、六分後に受講者の先頭が海底に落ち着くのを見届けた後、原告の姿が見当たらないのに気づき浮上したが、原告を発見できなかつたこと、他方、原告は、最後に海に入り潜水地点のブイに向けて泳ぐべく試みたが、ブイの位置を見失い、かつ泳力不足に怖さも手伝つてもがくうちに潮に流されるに至つたこと、しかして、原告は当初岸と並行に、次いで沖合に向けて、その後当初と反対方向に順次流され、岸から沖合約一〇〇メートルを漂流中被告ら捜索にあたつていた者に発見、救助されたこと、なお、当時付近の海域は、朝八時三七分の満潮から夕方五時三七分の最干潮までゆつたりとした引き潮が続いていたこと、以上の事実を認めることができ、〈証拠〉中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

前示争いのない事実に上叙認定の本件事故発生の状況を総合考慮すれば、被告は、原告の指導員を兼ねたバディとして、原告が海に入る時点から絶えず原告の位置、動静に気を配り、危険な状態に陥つていないことを確認すべき注意義務があるにかかわらず、当日被告の講習に参加した他の受講者の指導に気をとられてこれを怠つた過失により、原告が潜水予定地点に設置されたブイにたどりつく前に潮流に流されたことに気づかず、原告を漂流させたものというべきである。

これについて、被告本人尋問の結果中には、原告は潜水しなかつたからバディシステムを必要とするような行動はしていない旨の部分がある。しかしながら、そもそも被告は、受講者の安全を確保しながら海洋実習を行う責務のある指導員の立場を兼ねていたことを考え合わせると、前記の注意義務は免れないものというべきである。のみならず、前示争いのない請求原因2(二)(3)①の事実に成立に争いのない〈証拠〉を総合すれば、バディシステムは、状況判断の難しい海洋での潜水に不可避的に伴う危険に対する安全確保の方法であり、殊に、多くの器材を装着して長時間潜水するスキューバダイビングにおいて重要な原則とされるが、このシステムの遵守は単に潜水から浮上までに限られるものではなく、潜水器具の準備、計画の立案から潜水後の上陸まで行動を共にし、その間相手のバディに危険が生じたときは必要な救護、援助措置をとることが義務づけられていること、スキューバダイビングに伴う海洋での危険は必ずしも潜水中に限られず、器材を装着して泳ぐことから海洋の状況、バディの泳力等によつては潜水開始地点にたどりつくまでの間もバディシステムによつて安全を確保する必要が存在すること、被告がこのシステムを遵守し少くとも原告の位置、動静に対する注意を怠らなければ、原告の漂流は防げたことを認めることができるのであつて、以上の点に照らせば、被告本人尋問の結果中前記部分の見解は到底採用できない。

以上によれば、被告は、民法七〇九条に基づき、本件事故によつて原告の被つた損害を賠償すべき責任がある。

(過失相殺の抗弁について)

三前掲〈証拠〉によれば、原告は本件実習に先立つ被告の講習で非常時に救助を求める手信号を教えられていたこと及び本件事故当時岸には被告の講習補助者がおり、声を出し又は手信号で助けを求めれば早期に救助措置を取り得たことが認められる。しかしながら、前掲〈証拠〉を総合すれば、原告は一〇〇メートルを泳ぐのが精一杯という程度の泳力しかなく、スキューバダイビングの器材を装着しての海洋実技は本件事故当日が二回目という全くの初心者であり、しかも第一回目(昭和五九年二月一二日)のとき潜水時の呼吸に失敗して恐怖を抱くに至つていたこと、一般に初心者はバディから取り残されるとパニックに陥りがちで、そうなると冷静な行動が期待できない状態になること、以上の事実を認めることができ、被告本人尋問の結果中右認定に反する部分は前掲各証拠に照らしてたやすく措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。上叙の事実を勘案すれば、原告が前記のような行動に出なかつたからといつてこれを原告の責に帰することは相当でない。してみれば、抗弁は失当というべきである。

(損害)

四原告が本件事故によつて被つた損害について判断する。

1  前掲〈証拠〉によれば、本件事故当時、現場付近の海洋の水温は摂氏一二度以下でウェットスーツを着用していても冷たかつた(なお、これを着用していなければ、水温摂氏一五度で凍死の危険性がある。)ことが認められる。右の事実に第二項ないしの事実及び原告本人尋問の結果を総合すれば、原告が本件状況のもと死の恐怖の中で一時間以上も漂流したことによつて受けた精神的苦痛が多大なものであつたことは推認に難くなく、その他本件口頭弁論に顕れた諸般の事情を参酌すれば、これに対する慰謝料としては、金二五万円が相当である。

2  弁論の全趣旨によれば、請求原因3(二)の事実を認めることができる。しかして、本件の審理経過、事案の難易、前示慰謝料認容額等にかんがみると、弁護士費用としては、金五万円をもつて本件事故と相当因果関係のある損害と認めるのが相当である。

(むすび)

五以上の次第であるから、原告の請求は、不法行為に基づき、被告に対し、前項1、2の合計金三〇万円及びこれに対する本件事故発生の日である昭和五九年三月二五日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当として棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条の規定を、仮執行の宣言につき同法第一九六条第一項の規定をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官信濃孝一)

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